ヘンリー7世 (10/92)

 (1485-1509年、ヘンリー7世)

 ヘンリー7世が即位したことによってテューダー王朝が始まった。彼はヨーク家の王たちが成し遂げようとしていた仕事を引き受けた。それはすなわち強力な君主権を打ち立てること。無秩序を制圧し、大貴族が中間層を略奪したりぞんざいに扱ったりするのを妨げるだけの十分な力をもった君主権の確立である。彼は“お仕着せ”(Liveries)に関する議会法を施行することによって、自分たちの主人が定めた制服や記章を身につけた封建的軍隊の形成に障害を設けた[1]

 (星室裁判所)

 また、彼は星室裁判所の権限を大幅に拡大することによって、あまりにも身分が高すぎて通常の法的プロセスには従わせられない罪人にも手を届かせた。星室裁判所はのちの世の中では不人気となるが、当時は人民のために利用された。星室裁判所は、たとえどんなに強い証拠があるときでも大物貴族に不利な評決を下すことが恐怖や愛着からとてもできないような陪審しか見つけられないときに、代わりに遠慮なくその大物を罰した[2]


[1] 自分が認めた貴族しか私兵を蓄えられないようにした。(ref: 今井宏編『世界史体系・イギリス史2近世』(山川出版;東京,1990)14頁)

[2] これは、1540年頃に制度が整えられ、当初は評価が高かったが、のちにチャールズ1世の時代になると、ピューリタンの弾圧手段として使われすっかり声望を落とし、1641年の長期議会で議会法によって廃止された「星室裁判所」と、1487年にヘンリー7世の時代における議会で定められた「星室裁判所」を同一のものとして考え、前者の裁判所の説明をしているといえるだろう。両者は異なるもので、後者は、「騒擾、不法な従者団の保持、訴訟不法幇助などを扱い、コモン・ローの不備を補い、秩序紊乱に迅速に対処すること」を目的としていた。(ref: 同上15,30,48-49頁)

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