イングランドの議会に基づく統治(1) (4/92)

 (イングランドの議会に基づく統治)

 エドワードは報われた。彼の平時と戦時における功績は偉大だったが、イングランド議会は人間によって打ちてられたもっとも崇高な記念碑となった。今にイングランド議会が次のように考える日が来るかも知れない。すなわち、長いイングランドの君主の歴史の中で、ウェストミンスター・ホールや議事堂と全然関係のない人物[1] によって現在似つかわしくなく占められているパレス・ヤードのその場所に、エドワードの象こそあってしかるべきだと。あれから多くの点が変わったが、主要な点のすべてにおいて、イングランド議会は今日でも相変わらず、偉大なプランタジネット王朝のもとに結集した議会のままである。それはとくに、その主要な栄光を形成する点において同じである。すなわち、それは社会の単に一階層や一部を代表するのではなく、いついかなる時点でも議会に代表を送り込むことができるすべての階層、すべての部分の代表から成るということである。イングランドに存在するすべての社会勢力が、議会の壁の内側でその存在の重みを感じさせている。知性、道徳的価値、社会的地位、富、さまざまな社会的力がそこで表現の場を見つけている。貴族、高僧、ナイト、自治都市民が、法律をつくるに当たってこれまでと同じように協力し合っている。それは、そのそれぞれの階層が自分なりの意見を形成することができからであり、それが今度は確実に国の全体的意見の一要素になるからである。また、彼らはつくられた法律を実行に移す義務を互いに共有し合う運命にあったからである。


[1]  リチャード1世のこと。(ref: Wiki, Eng, ‘Richard Coeur de Lion (statue)’)

 (参考資料)

 ウェストミンスターの議事堂のテムズ川とは反対側の、オールド・パレス・ヤードにあるリチャード1世騎馬像ブロンズ像。

 この像は1860年にそこに置かれた。1860年といえば、ガーディナーがこの『イングランド史:1603-1642』第1巻のもととなる原稿を書き始めた頃と思われる。「リチャード1世の銅像置かれる」のニュースに接して、ガーディナー は、(リチャード1世よりもエドワード1世の像が置かれればよいのに)と思ったことが推測される。

 画像の出典:Wiki, Eng, ‘Rihard Coeur de Lion (statue)’

 画像の著作権者:Mattbuck

 ライセンス:CC BY-SA 4.0

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