ヘンリー8世の宗教的党派の扱い方

 (ヘンリー8世の宗教的党派に対する扱い方)

こうした互いに相反し合う要素の真っ只中にあって、ヘンリー8世は平和を保つことが自分の義務だと感じた。彼はローマ教皇の権威を維持し、そうすることによって国家の独立を危うくする者を断首台に送った。彼は新しい教義の説教を行い、そうすることによって国民の統一性を危うくする者を火あぶりの刑にした。事は荒っぽく、ぎこちなくなされた。決してなされるべきではなかった誓いがなされた。決して流されるべきではなかった血が流された。より気高い動機に、広大な修道院領を戦利品として区画した貪欲さが混ざった。修道院領は国王とその宮廷との間で分割された。

 (ヘンリーは代表者的支配者)

 しかし、ヘンリーの強さはおもにその代表者的性格の結果であった。

 (寛容は不可能)

 国民の圧倒的大部分はちょうどプロテスタントの意見を嫌ったように、外国の干渉を嫌った。寛容は不可能であった。なぜならば、異端の抑圧は、単に長い間、権力を行使する者すべての絶対的な義務と考えられてきたからだけではなく、もしも新しい意見が根づくことを許され、力を増すことを許されれば、それを奉じている者たちは、すぐに古い信条を奉じている者たちの迫害を始めるだろうと信じられる十分な理由があったからである。

 

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