イングランドとローマ教皇(13/92)

 国民的統一感情は、中世の間を通してローマ教会のイングランド支配を弱めていった。教皇クレメント7世がヘンリー8世の離婚を認めることを拒絶したことは、この長い対立を危機に導いた。ウィリアム征服王が教皇グレゴリオ7世の要請による聖ペテロ 献金の支払いを拒否したことに始まり、ヘンリー2世、エドワード1世、聖職後任者法や教皇尊信罪法の立法者たちによって続けられたこの対立は、上訴禁止法と首長法によって終局に導かれた。

(教会の独立が達成される)

 イングランドは世俗的な事柄においてばかりでなく宗教的な事柄においても、国民国家になろうとした。国民が何世紀にもわたって求めそのために戦い続けてきた目標は、ついに到達された。すべての個人、すべての階層に対する国民的政府の至高性が達成された。

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