テューダー王朝の君主 (11/92)

 (テューダー朝君主の力強さ)

 このような仕事は弱い君主ではなし得なかった。中間階層(カントリー・ジェントルマンや貿易商)は、君主を支えるだけの十分な強さをもっていたが、この頃はまだ、自分たちを君主から独立して強くするような組織はもっていなかった。結果として、彼らに安全を保証することのできる君主は、尋常ならざる尊敬の念をもって尊敬された。国王に反抗したいと思う者はほとんどいなかったので、国王に歯向かう者は万人の非難にさらされた。

 (1509-1547年、ヘンリー8世)

 それゆえにヘンリー7世は、ヘンリー7世以上にヘンリー8世は、これまでどの国王も成し遂げなかった多くのことを成し遂げた。彼らは自分に対して反抗的な者に、時には法にかこつけて、また時にはそれさえもなくして応報を食らわした。彼らの支配はイングランド史上まれにみる専制主義に近いものであった。しかし、(くびき)が個人に重くのしかかる一方で、それは国民には軽かった。当時の人々がテューダー朝の王たちに託されていると理解していた権力の性質を知るには、当時から今日の我々にまで伝えられている一つの言葉だけで十分である。王たちの行為がもっとも乱暴なときでさえも、我々が「国民」と称すべきものについて言及される際の名称は、「コモンウェルス[1] 」であった。そこではすべての階層が、国王までもが自分なりの位置というものをもっていた。しかし、そのそれぞれが全体の安寧に寄与することを期待されていたのである。とりわけ国王は、常備軍をもっていなかったし、ましてや外国の傭兵部隊などは全然もっていなかった。彼の力はすべて世論の上に築かれていた。そして、世論は個人の権利に関わる問題に関してはあまり反応しなかったが、全体的利益が危機に立たされると、敏感に反応し警戒態勢に入ったのである。


[1] コモンウェルス(commonwealth):1つの国家を構成する人民全体の集合体。(ref: OED, ‘commonwealth’, 2.)

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