1547-1553年:エドワード6世

 ヘンリーの決然とした行動は間違いなく変化の流れを落ち着かせるのに多大の貢献をした。だが、それを止めたりはしなかった。人間の制御を超えたところにある原因が国民を前へ突き動かしつつあった。中世の思考システムに対する反発は止められえなかった。ヘンリーが崩御すると、その反発は川の氾濫のように始まった。エドワード6世の第1祈禱書で、さらには第2祈禱書で、時代の2つの傾向はぶつかった。宗教の個人性が新しい学問の批判精神によって導かれた。そのような作業が反発を与えずになされえると期待するべきではなかた。イングランド人の大部分は、教会において偶像が引き倒され、ミサのいけにえについて何も語らない祈禱文が英語で読まれたとき、そうしたものを警戒の念をもって見つめた。エドワードの名において統治を行った者たちの自分勝手さと腐敗が残りのことをした。そして、エドワードが崩御したとき、民衆的教会と正直な政府の復活者として歓呼して迎えられた。

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