「スコットランドにおける教会と国家」(PDF)

 S. R. ガーディナー著『イングランドの歴史:ジェームス1世の即位から内乱の勃発まで:1603-1642』(全10巻)(ロンドン,1883-1884)の第1巻第2章「スコットランドにおける教会と国家」の翻訳をPDFでアップしました。

 メニューより「イングランド史」→「第1巻」→「第2章」と進んでください。第1章は今、鋭意訳しております。(順序が前後してしまいましたが。)

 第2章は、スコットランド王ジェームス6世が(すなわち、まだイングランド国王ジェームス1世として即位する前のジェームス)、若くしてスコットランドの統治に携わり、苦労し、経験を重ねるという話です。(彼は1566年に生まれて1567年に即位しました。むろん、当初は摂政が置かれ、摂政が政務を見ました。1580年代から成年に達し、自分自身で政務を見るようになりました。ジェームス1世というと、よくいかついおじさんの肖像画を見ますが、この頃はまだとても若いです。若いながらもいろいろと苦労している姿がうかがえます。)

 彼がとくに苦労したのは長老派教会との関係ですね。スコットランドではジェームスが生まれる少し前に宗教改革が起こり、国の宗教は長老主義でやっていくことが決まりましたが、まだあまりよく根づいていませんでした。また、長老主義者は教会の領域では、たとえ君主といえでも神の一下僕いすぎないという見方をとりますので、ジェームス6世は、彼らとの関係にとても苦労したようです。すなわち、ジェームスとしては、教会もあくまでも国王の権威のもとに置きたいのです。このように、国王が上なのか教会が上なのかでいろいろともめます。最終的にはジェームスは、主教制を復活させて、主教の権威でもって教会を治めさせ、その主教を国王がいわば自分の官僚として操ろうと考え始めたようです。

 また、この頃は貴族もまだまだ強大です。なかなか国王のいうことを聞きません。

 こうした、治世の、のちにイングランドの国王になったときの予行練習みたいなものが繰り広げられていきます。だが、それがどのくらいイングランドの複雑な状況に適応するのに役立ったかはわからないとガーディナーは批判的な、というか悲観的な見解を提示します。さて、どうなりますことか。

 なお、PDFのテキストを印刷するのは自由ですが、ただ、テキストは不断の見直しを行っていくつもりですので、変更がありうることをご了承ください。

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