強い君主の必要性 (6/92)

 (1307-1399年、強い君主の必要性)

 このように統治の基盤は広くなったが、14世紀のイングランドは、強い君主なしでもやっていけるような余裕はなかった。国民の目的は、のちの17世紀とは異なって、政府によって行使される権力の抑制にあるのではなかった。それが君主の利益のために使われるのではなく、国民のために使われるという保証を得ることにあったのである。ゆえに、王としての職務を忠実に実行することを己の目的とする王はみな人気があった。一方、これを怠ったり、国王という高い地位を己の欲望を満たすために使ったり、あるいは、己のお気に入りを喜ばすために使ったりする国王は、勃興しつつある国民にとって災難だった。イングランドは、手綱を制御するための強い国王を必要としていたのである。そして、自分たちが必要としているものは何かをよくわかっていた。いかなる犠牲を払っても、統治は確保されなければならなかった。さもなければ、無秩序が大手を振って跋扈し出すであろう。

 (『農夫ピアーズ』からの例)

 人々が国王の務めに関してどんな思いを抱いていたか、エドワード3世の後半の時代に生きたとある作家によって見事に表されている。ネズミがネコの首に鈴をかけようとする有名な話が語られたあとに[1] 、その作家は自分自身の続きを書き加えている。彼の話では、もちろん、ネコは国王を表している。そして、ネズミは貴族。小ネズミは平民である。彼は我々に、ネズミの会議が終わったあと、一匹の小ネズミが前に進み出て、会議で演説を行うと知らせる。その会議は、今度は多数の小ネズミたちで占められている。その一匹の小ネズミは、ほかの小ネズミたちにこう警告する。「小ネズミは、ネコの命や権力をねらういかなる試みにも加わらないほうがいい」と。そして、いう。「私は私の父から、しばしば聞いてきたのである。ネコがまだ子ネコだった頃、どんな悲惨なことが起こったかを。ネズミは小ネズミに全然休息を与えてくれなかったのである。だから、たとえ、たまに小ネズミが一匹や二匹、ネコに傷つけられることがあったとしても、結局のところ、ネコはネズミの数が増えるのを抑えてくれるのである」と[2]


[1] 原注:Piers Ploughman, l. 361-413.  (vol. i, 4)

[2] つまり、強い国王がいて、貴族を抑えてくれるのがいい。たとえたまに平民が国王のために犠牲になることがあったとしても。

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