イングランドの宗教改革

イタリアでは新しい学問が、支配的な宗教と対峙した。しかし、教会が長らく周りの世界と混ざり合っていたイングランドでは、そのような激しい意見の衝突はなかった。コレットとモアは、古い世界を新しい世界と調和させ、隠者の生活を学生の生活と混ざり合わそうと努力した。イングランドの宗教改革の特徴は、まさにこの別々の思想モードを調和させようとする努力であった。もしもモアがこの道において後ずさりしたとしても、進んでいく用意のある者はほかにもいた。次第に、しかし確実に、受け入れられていた慣行や受け入れられていた教義まで人の理性や学問の試金石にかけられるようになった。初めは、拒絶されたのはただ単に迷信的な慣行や詐欺のようなものであった。しかし、だんだんと教会の教義は、論理的な異論に応えるような形で説明されるようになっていった。一方クランマーが(彼はたとえ精神的に弱くても知性的には大胆であったが)初期教会の教師たちの書物を長らく研究することによって準備していたことは、実体変化説自体を、聖書の平易な言葉とではなくて、教会の最初の時代の慣行によって解釈されていた言葉とは一貫性がないとして放棄することであった。

 

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