中世の志向

 ヘンリーはイングランド教会において教義のいかなる変化も許すつもりはなかった。しかし、彼の世代の考え方に現に影響を与えている強い流れを止めることは不可能だった。ローマ教会の組織を弱体化させた国民力の結集そのものが、まさにそれが依拠している精神的基盤を弱らせたのである。かつて西ヨーロッパ全域においては、一つの均一な思考の傾向が中世の間起こったすべての運動の根底にあった。なかなか収まらない自分の気持ちを抑え、均一性と秩序という堅固な土台に到達しようとすることは、人間努力のすべての部面においてはっきりと現れた一つの支配的な志向であった。ヨーロッパの隅々に至るまで美しく聳え立つ大聖堂の建物家は、たとえどんなに建物のグラウンド・デザインは不規則なものであっても、自分たちの建築物に統一性を与えるような1つの背の高い尖塔または塔に、見ている人の目が行くように気を配っている。中世によって生み出された1人の偉大な詩人(ダンテ:訳者)は、初めは秩序と配列を重んじたが、やがて、そのイタリアのフィレンツェの市民は町を永久追放されて、ドイツの君主(神聖ローマ皇帝ハインリッヒ7世:訳者)にイタリアの都市国家市民のあまりにも豊かすぎる気質を、たとえ無骨であっても何らかの法のもとに置いてくれるように呼びかけた。中世の詩に対して起こったことは科学に対しても起こった。人の精神は新しく発見された卓越性を誇りに思いながら王座に腰かけ、その高みからすべての人間的なもの、神的なものに号令をかけて、自分の前に集まるように呼びかけ、それらのものに課されるべき、厳格な法と秩序ある分類のもとに己れの身を捧げるように命じた。種々雑多な自然の頑固な質問はあってはならなかった。そのすべての神秘を理解する能力がないことを厳かに告白することがあってはならなかった。人の精神は物質世界より偉大であり、ロジックによってそれはすべてを理解するだろう。宗教も間違いなく同じ方向に動いていく。人民の理想は、一般にその実際の存在の諸悪ともっとも反対に位置するすべての要素から成っている。かろうじて未開から脱け出した人民に関しては、この自己否定の形はほぼ間違いなくもっとも高度な美徳と考えられるようになり、それは能動的な働きかけにおいてではなく、統御できない情熱や動物的な欲望を抑えることにおいて示された。人の心に行き着く唯一の道は禁欲を通してある。そして、禁欲は、修道院の中における完徳の中においてのみ見出される。体は生きる死へと追いやられる。精神のみが生きる。もっとも偉大な聖人は、教会にとってもっも有用な人間ではなかった。あらゆる肉欲に対してもっとも偉大な克服力を見せ、我々人間の感情をもっとも完全に放棄した人間だった。なぜならば、通常の人間の衝動的な精神によってもっとも到達困難だったものこそ、この自己抑制能力だったからである。国王が口から泡を飛ばして、ちょっとした些細なことにも呪い毒づいているときに、聖職者の中でもっとも尊敬された者は白いシャツを着て、隠者のように暮らしていたことは至極当然のことであった。そして、宗教的思想が宗教的実践のすぐあとに続いた。もっとも完全な正確さでもってもっとも微細な結果にまで引き出さた1つの信仰があった。それをもっとも偉大な人物ならば説明することはできたかも知れないが、そこから少しでも変化することはできなかっただろう。すべての国で、1つの礼拝が神に到達した。同じ聖なる形をまとって、同じ聖なる言葉で捧げられて。人も人の思想も海の波のように変化したかも知れないが、中には決して変わらないものもあった。イングランド人にとってもイタリア人にとっても、封建家臣にとっても奴隷にとっても、それはただ一つのことを話し、ただ一つの服従の教訓しか教えなかった。それはすなわち、その王国が、彼らが過ごしているこの世の楽しみや喧騒のすべての上に存在する、神に対する服従の教訓であった。

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